◆ 演出技法よる分類 ◆

出づかい

出づかい (でづかい)

「出づかい」という用語は、元々は文楽で使われていた言葉である。それを現代人形劇用語に転用したことで、混乱があるので注意が必要だ。
 文楽では、通常、操者が黒衣と黒頭巾を着用して、観客の目障りにならないように演じる。しかし、クライマックスの段で、顔見せ的に操者が頭巾を取り、裃・袴で演じる演出技法が出づかいである。

現代人形劇の「出づかい」は、1980年代からヨーロッパで盛んに行われるようになった演出技法のことである。文楽と異なるのは、演者が、黒衣と黒頭巾を着用して演じる場合であっても、用いられるので、よけいに紛らわしい。

海外に「文楽スタイル」として広まったキッカケは、1957年、モスクワ第6回世界青年平和友好祭の際、人形劇団プークの川尻泰司、古賀伸一、木村陽子らが、碁盤人形の「三人三番叟」を演じたことである。
 その際、着目すべきは、ケコミのない平舞台で演じたことである。それまでの人形劇では、ケコミと呼ばれる衝立状の舞台の内に、操者は身を隠して 人形をつかうものであった。糸あやつりであっても舞台の天井部分に隠れて人形をつかう。つまり、人形劇とは、舞台人形だけの演劇世界であったのだ。
 何もない平舞台では、操者は身を隠すところはない。堂々と操者が丸見えの人形劇の舞台に、欧米の人形劇人は、驚いたのである。当然、当時は「出づかい」という概念はなかった。「そういうやり方もあるのだ」と受け取ったのだ。

ここで注意が必要なのは、日本と欧米の「黒」という色の捉え方の違いである。日本では、舞台での黒は見えない約束で、実際は見えているのに、観客は透明で見えていないと踏まえて鑑賞する文化があることである。
 しかし、欧米には、そのような文化はない。黒も、赤や青と同列の色なのだ。彼らが受け取ったのは、人形つかいが丸見えの舞台で、人形をつかう人形劇もあるのだという認識である。

その後、見えているのだから黒にする意味がないという流れになり、最初は控えめに、やがて、人形操者が普通の衣装で、人形をつかう舞台が登場するようになったと思われる。1980年代、出づかいの手法を発展させた、チェコの劇団ドラックの舞台の成功で、世界中で行われるようになった。

日本においては、出づかいは、人形劇の本質に関わるということで、大議論が起こることになる。
 ヨーロッパから逆輸入して人形劇団プークの川尻泰司は、次々と新しい試みを行った。これに対し、人形劇団むすび座の丹下進は、「人形劇は、人形だけの世界であるべき。出づかいは別のジャンルとして考えるべき」と批判し、大きな議論になった。当時、日本の人形劇界では、丹下の主張が大勢であった。
 しかし、現在では何事もなかったのかのように、出づかいへの異論は消え去った。批判の先陣を切った丹下も「悟空誕生」で出づかいの舞台を成功させている。

出づかいを考えてみると、結局、意識の問題だというのがわかる。ケコミに隠れて人形つかいが見えない舞台も、黒衣が見えない約束になっているのと同様、観客は人形が勝手に動いているわけでなく、隠れたところに人がいて動かしているのだと、心の目ではわかっているのだ。お約束だから、誰も人間が動かしているから、人形の劇ではないとはいわない。
 そのことを受け入れれば、出づかいは不自然でも何でもなくなってしまうのである。人形劇は、もともと、お約束で成り立っているのだから。

人形劇団プーク「12の月のたき火」
黒衣で演じる出づかい 人形劇団プーク「12の月のたき火」
人形劇団プーク「逃げ出したジュピター」
黒衣でない出づかい 人形劇団プーク「逃げ出したジュピター」
人形劇団プーク「うかれバイオリン」
操者も衣裳で演じる出づかい 人形劇団プーク「うかれバイオリン」

文楽スタイル (ぶんらく・すたいる) Bunraku style

欧米で使われている用語。明確な定義はないが、出づかいで演じられる舞台や、抱えづかい人形のことをいう。
 広まったきっかけは、1957年、モスクワ第6回世界青年平和友好祭の際、人形劇団プークの川尻泰司、古賀伸一、木村陽子らが、碁盤人形の「三人三番叟」を演じたことや、同年、淡路人形座のソビエト公演にあると考えられる。

 


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