◆ 人形の構造による分類 ◆


カラクリ人形

カラクリ人形 (からくり・にんぎょう) Krakuri puppet

祭りの山車の上で演じる人形で、主に、糸などを使ったカラクリによって操作される。

ヨーロッパでは、機械仕掛けで動く自動人形(オートマタ)として発達したが、日本では、自動人形だけでなく、数人の操者が糸を引いて、リアルタイムで観客に、精巧な技術で、短い人形劇を演じて見せる技術が発達した。この技術は、複雑な動きをする和時計の技術にも生かされた。

西欧では、1時間は1年を通じて同じ長さでの等時法であったのに対し、日本では、日の出・日の入りを基準に、昼間と夜をそれぞれ6分割するという不等時法であったため、季節にしたがって1時間の長さを変えねばならなかったので、西欧より、さらに高度な技術が必要とされたのだ。このことは、明治以降の西欧技術の取り入れる際、大きな役割を果たしたと思われる。

例をあげると、京都は山車の発祥の地であり、山車にカラクリ人形のあるものはない。本家本元だからこそシンプルなのだ。動かないタヌキの人形が1体のっている山車があるくらいだ。山車が各地に広がる過程で、他のものよりも誇れるものを作ろうと、競うように、より精巧なカラクリ人形を開発して、山車の上で演じるものを作っていった。結果、その差が、明治以降の工業技術に大きな差を与えた。

京都では、明治になって技術革新のため、いち早く西陣織の3人の職人をフランスのリヨンに派遣し、当時最新の技術であったジャガード織りの技術を習得させた。ジャガード織というのは、手回しオルガンの楽譜のように、パンチで空けられた穴を読み取って、複雑な模様の織物を自動で織っていく自動紡織機のことである。現在でも、パンチで空けられた穴が、フロッピーディスク、ハードディスクに置き換わっただけで、伝統的西陣織が守られている。

一方、東海地方では、豊田佐吉(とよだ・さきち)が、横浜で開催された博覧会で、鉄製の蒸気で動く自動織機を目にした。帰って後に、佐吉は木製の自動織機を独自に作ってしまったのだ。見ただけで作ってしまった、佐吉がすごかったのは、もちろんであるが、彼の指図で機械を作り上げる技術が東海地方にはあったということだ。今も東海地方周辺に──名古屋は戦災で消失してしまったが──多くのカラクリ人形の山車が残っていることでわかるように、カラクリの人形師や、和時計職人の技術者の存在があったこそ可能であったのだ。豊田自動織機製作所(現在の豊田自動織機)を興こした佐吉の次男喜一郎が、後に豊田自動車(現在のトヨタ自動車)を立ち上げることにつながっていることを思うと、人形劇人の1人として誇らしい気分になる。トヨタが、カラクリ人形博物館を計画していると聞くが、ふさわしい事業だと思う。

人形戯 (にんぎょう・ぎ)

カラクリ人形などで、演劇までになっていいないが、人形を操作してストーリーを表現するものの総称。

山車カラクリ (だし・からくり)

祭礼の時、山車や曳山の上で演じられる人形戯。人形のカラクリを操作する糸を、隠れたところにいる人が、巧みに操って人形戯を演じる。
 京都の祇園祭の山車として生まれたものが、地方へ下る過程で、競うように様々なカラクリ人形が生まれていった。他にないものを見せるという対抗意識が、技術の進歩の原動力になっている。山車は、京都から広がっていったものなので、カラクリ人形も京都から、伝わったと思われがちだが、本家京都の山車には、カラクリのある人形はない。

人形劇団プーク「かいじゅうが町にやってきた」 
左:高山祭(春)龍神台の唐子  右:大津祭

自動人形 (じどう・にんぎょう) automata

ゼンマイの動力で人形を動かし、ゼンマイを巻いた後は、人形だけがすべての動作を行う。日本では、ゼンマイの材料として鯨のヒゲが使われた。
 よく知られているのは、茶運び人形である。主人が人形の持っている盆の上に、お茶を入れた茶碗を置くと、客に向かって進んでいき、客の前で止まる。客がお茶を飲んで、空の茶碗を盆に置くと、くるりと回って主人のもとへ帰っていくものである。江戸時代の「機巧図彙」に構造図が残っており、復元された。学研の組み立てキットで、売られていたこともある。

人形劇団プーク「かいじゅうが町にやってきた」 

他にも、文字を書いてみせる人形や、弓を引いて的に打ち、命中させる弓曳き童子などがある。
 自動人形は、ヨーロッパにも多数あり、オートマタと呼ばれているが、カラクリ人形戯は、日本独自の発達をした。

オートマタ (おーとまた) automata

西欧の自動人形には、精巧なものが多数あり、日本と同様に、オルゴールや、時計の発達に寄与した。
 西欧のものは極めて精緻に、正確に動くように心血が注がれているが、人間のような温かさが感じられない。「機械のように正確さ」を追求している。しかし、日本のは精巧さだけでない遊び心を感じるものがある。
 例をあげると、からくり儀右衛門こと、田中久重の作った「弓曳き童子」がある。切手にもなったから、ご存じの方もあるだろう。
 男の子の人形が、矢をつがえて、ねらいを定め、的に向かって4度矢を射る自動人形である。西欧のものなら、百発百中3度とも、的に命中するものを作るに違いない。
 しかし、儀右衛門の童子は、3発は命中、1発は的を外して、再び命中するというものである。人間味あふれるカラクリ人形である。心まで写し取るような人形である。
 しかも、どんな機構を使って成功と失敗を実現しているかが、さらに面白い。複雑な機構ではなく、失敗する矢羽根をわずかに切り取って、まっすぐに飛ばないようにしているだけなのだ。西欧人との美的感性が異なっているのが興味深い。

 


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 参考文献
「からくり人形師玉屋庄兵衛伝」 千田靖子 1998