「人形劇辞典」の執筆にあたって

人形劇の人たちと、人形劇について話すときに困ったことがあります。例えば、「オブジェクト・シアター」という言葉を使ったとします。しかし、話し手や、聞き手が思い描く「オブジェクト・シアター」の意味が、人それぞれになってしまうことです。これでは、演技論について意見を交換することさえできないのが現状です。

話す中で使う言葉の定義をいちいちしていかなければなりませんし、そんな話し方では、面倒くさくて敬遠されてしまいます。これは、とりもなおさず「人形劇」というジャンルが、日本では学問として成立していないことにほかなりません。人形劇にかかわる多くの人たちは、経験主義的な議論で終わっても、痛痒をあまり感じない傾向が、このことに、さらに拍車をかけることにもなっています。

それでも、多くの人形劇の先達たちが、この現状をなんとかしようとして、多くの挑戦をしてきました。しかし、残念ながら生み出された概念のほとんどが、普遍化されることがありませんでした。 最大の理由は、これらの議論を共有する場が、ほとんどなかったからだと思います。

 

これから執筆する内容は、「研究」というには、ほど遠く、不備の多い「論」でしかありません。しかし、出版などの手段と異なり、ある程度まとまったものになっていなくても、逐次更新できる、インターネットという格好の場を使って、ささやかな第一歩を歩み出したいと思います。

この辞典は、人形劇人の立場から編纂したもので、広く一般化した概念になっていないものも含まれていることを承知おきください。現段階では、筆者の「論」にとどまっているものが含まれています。煩雑になりますので、あえてその区分はしていませんが、説明の長さで判断してください。

私の残された時間やエネルギーを考えると、到底まとまったものになるとは思えませんが、どなたかが引き継いでくれることを願っています。

 

表記について

・「棒つかい人形」のような表記において、「遣い」「使い」なども使われていますが、原則的に「つかい」に統一しています。「遣い」は、人形劇人内部では、好まれる傾向がありますが、広く概念を共有したいという考えで、難しい漢字を避けました。また、「使い」は、人形なのに道具を使用しているような感覚があり、演じている意味合いが損なわれ、人形劇人には違和感があり、あまり使われていません。

                      藤原玄洋 (2017.04.20)



◆ 人形劇 総記 ◆

人形劇 (にんぎょうげき) puppetry

人形劇は人形──つまり造形的物体(人間や動物の形をしていなくてもよい)を操作することによって、演技表現をする演劇の総称。

俳優自身の身体で演技表現する<人間劇>や、俳優が面をつけたり、かぶったりなどして行なう〈仮面劇〉とともに、演劇の一分野。

「人形劇って何?」という問いかけに答えるのは、結構むつかしい。「人形を動かして演ずる演劇」というのが、一般的な答となる。では、人形とは何か? 通常は、人の形をしているが、動物であったりもする。あるいは、ホウキやバケツに目鼻を描き、人形にしたものもある。これらは、「人形」とイメージできるものばかりである。

しかし、ホウキやバケツそのものに目鼻を描かない、手足もつけない、ただの物として、表現する人形劇もある。この場合、ホウキやバケツそのものは、物であって人形ではない。それらを単純に人形と呼ぶには違和感がある。そのことから「物体劇(オブジェクト・シアター)」と呼んだりもすることがある。

したがって、狭義の意味での〈人形劇〉とは、「物体を動かして表現する演劇」と定義することになる。その物体は、形状にかかわらず、何らかの形で擬人化されていることにもなる。これら擬人化された物体を含めて〈舞台人形〉と呼ぶことにした。

着ぐるみの人形で演じる演劇も、〈人形劇〉と一般的にいわれているが、これは〈仮面劇〉に分類されるべきものだ。演劇は、人間そのものが演じる〈人間劇〉と、物体を使って演じる〈人形劇〉、人間が何者かになり代わって演じる〈仮面劇〉の3つの手法に分けることができる。人間劇で俳優が扮装する場合は、あくまでも人間に付加するものである。仮面劇では,身につけることにより,そっくり何者かに成り変わるという表現なので,区分されている。

というわけで、着ぐるみの人形で演じる演劇は、あきらかに〈仮面劇〉になる。「劇団飛行船」は、自らを〈マスク・プレイ〉と呼んで、人形劇と別の立場に立っている。しかし、着ぐるみ人形で演じる演劇を含めて、広義の意味で、〈人形劇〉と呼ばれることが一般的なので、ここでは、広義の意味での〈人形劇〉とする。

他に、可動式の人形を動かし、コマドリ撮影をして作る、ストップ・アニメーションがある。時に人形劇と呼ばれたりするが、広義の人形劇には入れない。映像の中で、人形をリアルタイムで舞台人形を操作して撮影される動画のみが、人形劇に含まれる。

人形芝居 (にんぎょう・しばい) puppet show

人形劇の古い呼び方。(→ 人形劇

現代人形劇 (げんだい・にんぎょうげき) contemporary puppetry

日本では、大正期以降に生まれた人形劇。

創生期のものは、主に西欧の文献などを元に始められたのが多く、古来からあった日本の伝統的な人形劇の考え方や、技術とも断絶していた。

もうひとつ留意すべきは、現代人形劇よりも前の時代では、子どものためだけの文化が存在しなかった点である。現代人形劇の担い手たちは、当初はおとなを主な対象としていたが、時代背景とともに、子どものための文化財としても、積極的に取り組んできたことである。現在、人形劇というと「子どものためのもの」と思われている一因になっている。

伝承人形劇 (でんしょう・にんぎょうげき) traditional puppetry

日本では、明治期以前に生まれた人形劇。

川尻泰司が、伝統と現代の対比から、〈伝統人形劇〉と呼び普及した。しかし、藤原玄洋が「伝統とは現在に生きているものでなければ、意をなさない」と批判した。伝承人形劇の多くは、新しい創造にチャレンジすることなく、昔のままを継承しているものがほとんどで、一様に〈伝統人形劇〉と呼ぶのは適当ではない。現在では、明治期以前の人形劇全体には、〈伝承人形劇〉の呼称が、ほぼ定着している。

人形 (にんぎょう) doll, puppet

擬人化された造形物。英語では、主として鑑賞に供されるものを"doll"、演じるために使われるものを"puppet"と使い分けられている。

舞台人形 (ぶたい・にんぎょう) puppet

英語では、Puppetとdollという使い分けがあるが、日本語では、単に「人形」という。それでは、鑑賞するためのものと、人形劇で使うものとの区分ができないので、それぞれ「置人形」と「舞台人形」といいわけてある。
 私の造語と最近(2019)まで思っていたが、1954年初版のデムメーニ著、小澤政雄訳「人形劇の仕事」で使用されていることがわかった。したがって、小澤政雄が翻訳の際、作ったと思われる。この本は、人形劇人にはずいぶん読まれた書籍であるのに、普及しなかったのは不思議である。もちろん、私も熱心に読んでいたはずなのだが……。

劇人形といういい方もある。置人形と共に、加藤暁子の造語だが、自身で違和感がある述べており、それ以前の小澤政雄の造語の方が、言葉としては適当だと思う。

劇人形 (げき・にんぎょう) puppet

加藤暁子の造語。舞台人形のこと。加藤は、主として鑑賞に供されるものを「置人形」、演じるためにつかわれるものを「劇人形」と区分した。しかし、加藤自身、「劇人形」という呼び方は、日本語として違和感があると述べている。そういうこともあって、言葉としては定着していない。

人形劇人 (にんぎょう・げきじん) puppeteer

川尻泰司の造語。人形劇を直接つくっている人々だけでなく、研究者や、制作者、オーガナイザーを含めた、人形劇にかかわる人々の総称。

人形劇団 (にんぎょう・げきだん) puppet troupe / puppet theater

人形劇を上演するために集まった集団。欧米において、puppet theaterは、常設の劇場を有する人形劇団、puppet troupeは、常設の劇場を有しないものと、おおむね、使い分けられている 。

人形つかい / 人形遣い (にんぎょう・つかい) performerr

舞台人形を操作して、演じる者。

人形劇人の中でも、定着した呼称がない。〈人形つかい〉は、人形を操作するだけという意味合いが強く、人形を使って演劇を芸術として創造するという意味合いに乏しい。須田輪太郎により〈人形劇俳優〉という言葉も使われたが、違和感がある。〈人形操者〉というのも、操るという印象が強すぎ、演技者という意味合いが薄れる。〈人形つかい〉も同様である。〈人形師〉と呼ぶこともがあるが、人形作家の印象が強い。

人形師 (にんぎょう・し) performer

本来は、人形作家のことだが、人形つかいという意味で使う場合がある。(→ 人形つかい

人形劇俳優 (にんぎょうげき・はいゆう) performer

人形つかいのこと。人形を操作して、演じる者の意。日本語として、なじみにくいので、<役者>といういい方を好むものも多い。(→ 人形つかい

俳優 (はいゆう) actor / actress

本来は、〈人間劇〉の演技者のことであるが、ときに〈人形つかい〉の意味で使うことがある。操作する者というより、演技する者ととらえたいという考えがある。(→ 人形つかい

人形操者 (にんぎょう・そうしゃ) performer / manipulator

人形つかいのこと。人形を操作する者の意。(→ 人形つかい

操演 (そうえん) physical effect

もともとは、怪獣映画のような特殊撮影で、怪獣などの着ぐるみの中に入って、カラクリを操作し、演じること。

現在では、日本の映画・テレビ番組などで、ワイヤーアクション、ミニチュアの操作や、火・水・風・大地における自然現象の演出を担当する役職。【Wikipedia】

人形劇場 (にんぎょう・げきじょう) puppet theater

人形劇上演を行う建物、場所、または人形劇場を有する劇団のこと。恒久的な建物をいうが、一時的なものでも、この呼称が使われる場合もある。劇場を有していなくても、人形劇団の呼称に使われる場合もある。(→ 人形劇団)

 


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